【いきいきコラム】 金儲けは悪か?(社内掲示板より)
(以下は社内の掲示板の抜粋です)
論語に 「粗食を飯らい、水を飲み、肘を曲げてこれを枕とす。楽しみ亦その中にあり。不義にして富み且つ貴きは、我に於いて浮雲の如し。」 というものがあります。
これは、「粗末な食物を食べ、冷水を飲み、ひじを枕にして寝る。 貧乏もまた楽しい。不義を行って得た富や地位は、 私にとっては浮雲のようなものだ」 と言うことです。
この解釈を、「金持ちになること、地位を得ることは罪だ」と錯覚してしまう人がいるかもしれません。「富を得るよりも貧乏の方が正しいこと(善きこと)」という誤った解釈です。確かに、そのように解釈した方が何となく「良い人」のような感じがします。
しかし、これは、現実の世の中で金儲けをした人の多くが道徳に反する考えや行為によってその地位を得ているという事実が、私たちの心に「富は悪」として染み付かせているからではないでしょうか。 孔子がこのように言っているのも、その時代の金持ちに「義」のない人が多かったからでしょう。
孔子は「不義にして富み」と言っています。つまり、道徳に反して得た富や地位は、価値がない(悪だ)と言っているのです。 富や地位を得ることが不義だとは言っていません。「富むこと」と「不義」とは何の関係もありません。また、一方を立てれば、もう一方が立たないという関係にありません。
不義を犯すと、必ず心のどこかにやましさがあります。やましいという気持ちは、本人は打ち消して気づかないふりをしていても、潜在意識深くに必ずとりこまれ、いつかはマイナスの結果として現実化するものです。 だから、孔子は「不義をして富みは・・・浮雲」と言っているのです。
ところで、二宮尊徳(二宮金次郎)の教えは「勤労、分度、推譲」にあります。人一倍働いてお金を稼ぎ、入ってきたお金を分度(計画)をたてて使い、 そして蓄えた中の一部を人に譲る。つまり、お金は人を救済するために差し出し譲るためにあるということを言っています。
富は絶対的なものではありませんが、富みがよりよい環境を創り出し、ときには人を救済する手段として大きな力を発揮することさえあります。人を救済するために、事業を発展させるために、日々の生活を充実させるために欠かせないものです。松下幸之助さんが「赤字会社は社会悪だ」と言われました。儲けて利益を出して社員や社会に還元することが会社というものが世の中に必要とされる所以です。
森田